先日は後輩君たちと勉強会をすることになっていたので、朝から準備をしていた
勉強会でモニターを使うので家から持っていくのだけど、こういうイレギュラーなことをする時は、わたし絶対忘れ物をする
絶対
忘れそうだと思っていたのが、モニターとパソコンをつなぐコード
モニターをもっていくのに必死で、着いたらコードがない!という状況を予想していたので、これだけは頭から離れないようにしていた
車に積んで、「パソコンがあってモニターがあってコードがあって」とつなげる所をリハーサルしてOKと家を出た
カウンセリングルームに着きつないでいるとすぐに「あ…」と思った
リモコンを忘れてる
「いや、でもボリュームが問題なければ必要ないはず」と思ってつけようとしたら、リモコンがないから電源がつけれない
笑
30分かけて家にとりに帰った…
車を走らせ途中ケンタッキーの前を通ったので「ケンタッキーいいな」と思い車を停める
車の中からランチ500円の看板が見えている
「今ケンタッキー500円なんだ」と頭の中はケンタッキーでいっぱいになり、急いで降りて中に入ると、いつもどおり車にケータイを忘れている
…
ケンタッキーはいつも通りおいしかった
今日の勉強会は久しぶりに後輩君2が来た
1,2年振り?に会ったと思う
後輩君2は全く、全く変わりなかった
「お祝いになんか持ってこようかなと思ったんですけど、なんかいりますか?」とか言ってきたので、「いる」といっておいた
後輩君たちは精神分析とユング派なのでやろうとすることは異なるのだけど、大学院時代に戻ったみたいで、ディスカッションはおもしろかったです
途中でブリーフセラピーの話題になった
何かわたしブリーフセラピーが好きになれないのだけど、「セラピストの作ったレールにクライエントを乗せる」みたいなところが違和感なんだと気づいた
例えば、「どちらを選んでも前に進むような質問」を繰り出される人がいる
例えば学校に行ってない子に、「明日2時間行ってみる?1時間行ってみる?」みたいに聞くと、どっちを選んでも今より前に進む
それを見ると「明日ご説明に行きたいのですけども、午前中がいいですか?午後がいいですか?」とうちに電話してくるセールスマンに重なって見える
「学校に行けるように一緒に協力して取り組もう」という合意の上で行われていれば違和感ないのだけど、それをすっ飛ばしてレールに乗せるみたいなのがどうも…となる
CBTの人はこの辺りの目標や合意を基に進められると思うので、逆にブリーフの人からは時間がかかってると言われるのかもしれない
さらによくわからないのは、単にそうなる人がいるだけで上手な人は協同的に進めるのか、それとも質問を繰り出すことによって構成的に進めていくのがブリーフセラピーであってそこに目標や合意は必要としていないのか、もしくは目標とか合意は必要なく「コミュニケーションの基に行う」というのもあるかもしれない
どれも大事だと言われたらそうなのだろうけど、上手な人に聞いてみたい
セラピストが提示する選択肢がセラピストから出ているほど違和感があるので、先手を打ってコンテクストを作っていくセラピーに違和感を感じやすいのだと思う
こんにちは。子育てカウンセリング・リソースポートというカウンセリングルームを運営しております。
心理士・心理師を発見するサイトではお世話になりました。
ブリーフセラピーでは、クライエントをレールに乗せるということはありません。クライエントの中に眠っているゴールをクライエントと一緒に発見して、それを一緒に目指していきます。クライエントこそ専門家であり、セラピストやカウンセラーは知らないことをクライエントから教えてもらうという姿勢を大切にしています。この姿勢は、「Not Knowing の 姿勢」と呼ばれています。
誘導的にカウンセリングを進めていこうとすると、多くの場合、袋小路に入ってしまうように思います。クライエントが自分で自分の進む方向を発見し、セラピストやカウンセラーはそれについて行くことが大切だと思います。
「一緒に」という姿勢をもちながら、「短期的に」「効率的に」進めていくことは難しい時もあるように思います。
短期的に進めるためにレールに乗ってもらう、短期的に進めるために誘導的になる、ということはあるのではないでしょうか。
姿勢という言葉も使い勝手が良すぎるようにも思います。
どんなに突飛なことをしていても、「教えてもらう姿勢だった」と言えるように思うのですが、どうでしょうか。
態度や姿勢と技術や戦略は、矛盾しないものなのでしょうか。