カウンセリングの価値とはなにか

さきほどお金の話になったのでカウンセリングの価値について書いてみる

病院や学校など無料で見てもらえる所と違って、カウンセリングルームのカウンセリングはお金がかかる
なので、カウンセリングで受ける価値が料金に見合うかどうかが判断されやすい

じゃあカウンセリングの価値とは何かというと、ほとんどの人は何となくの感覚で判断してると思う
特に初回カウンセリングが終わるときの何となくの感覚

うちのカウンセリングルームにももう十何人か来られたけれど、半分以上の人はなんか理由をつけてちゃんと通わない
学会に参加して他のカウンセリングルームの脱落率とか見てきたけれど、だいたい半分くらい脱落していたので、半分ってのは普遍的なものらしい

やめてしまう人ってのは少なくて、やめもしないけれど、ちゃんと通わない人が多い
カウンセリングは続けた方がいいような気がするし、心配なことはなくなってないのだけど、ちゃんと通う決心もないのだと思う
「今日で終わりでいいですか」と聞くと、「また考えて予約していいですか」と言われる人もいる

初回カウンセリングに引きの姿勢で来られてる方は多いし、自分が通う時を考えてもそうだと思う

お金がない人はカウンセリングに来れない、という思い込みが専門家の間でもある
本当に捻出できないレベルで生活に困っているならしょうがないのだけど、ほとんどの人はあてはまらないと思う

例えば、生活保護の人はカウンセリングにくるお金がないかというと、そんなことないと思う

わたしが病院にいた頃は生活保護とか障害年金で暮らしてる方も見てきたけれど、みなさんジュースを飲んだり、外食に行ったり、カラオケに行ったり、ゲームに何千円と課金したりされてた

お金がないからというよりも、カウンセリングに使うお金が優先されないという文化的な理由だと思う

うちのカウンセリングルームも出来るだけいろんな事情のある人が来られるようにしたいとは思ってるのだけど、結果的には、ちゃんと通わない事には力になれないと思い始めた

お客さんを限定するとなると経営は落ちるので、アルバイトしたりも必要になるかもしれないけれど、それもしょうがないかなと思う

開業とか起業する目的は、お金を得るだけでなくて、社会に価値を作り出すことだと思うので、それが少しでも出来る方がいい

その昔わたしが大学院の相談室にいた頃、カウンセリングの料金が1500円とかで、そしてさらに割引制度があった
割引にも賛成の教員と反対の教員がいて、反対の教員は「ご飯も食べれないくらいにならないと割引はするものではない、失礼だから」と言われてた
その時は何言ってるんだかと思ったけれど、今はそれがわかる気がする

その昔、藤山直樹先生が、精神分析を始めるときは何をアセスメントするのかと聞かれて、「この人とならやっていけるという感覚をもてるか」と言われてた
その時は何言ってるんだかと思ったけれど、今はそれがわかる気がする

うちに来られてる方は、10年20年病院に漠然と通ってきたけどよくならなくて、1日中家の中で生活されてる方もおられる

そこまでなると、生活にお金を回すよりも、一時的にいろんなものより優先させて、カウンセリングに通うという選択をされてもいいと思う

よくなれば、また違う人生が始まるので

「気軽にカウンセリングを」っていう人もいるけれど、本当に自分の問題に取り組もうという気持ちがあった方が続くし、カウンセリングは続けないとよくならない

少し前に見たスキーマ療法の効果研究では、効果と関連したのは継続期間だけだったとか興味深い結果が出ていた

これからカウンセリングを受けて良くなるかと聞かれたら「通うならよくなります」と答えようと思う

行動療法の久野先生が「ラポールは最後に出来る」と言われてた

カウンセリングも毎回が料金相応の価値を感じられるのでなくて、カウンセリングに価値があったのかなかったのかは、最後にわかるものなのかもしれない

このカウンセラーに期待が出来るかどうかが大事ということです

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