以前に書き込んでからしばらく来談者中心療法の勉強をしている
竹内成彦さんがおすすめしていた古宮昇の本をとりあえず2冊読み終わった
正確には古宮昇は統合的心理療法らしい
事例を見る限り転移の話が多く、力動的心理療法との統合的な立場なんじゃないかな
非指示的と来談者中心の違いもなんとなくわかった
それまでの主力だった精神分析や行動療法のアンチテーゼとして、カウンセラーから指示しなくてもクライアントの中に自分で治る力があるんだという主張として非指示的が生まれたみたい
その時はどちらかというと傾聴とか技法的な側面の主張が強かったと思う
それからロジャーズは治療的な変化に必要にして十分な6条件を発表してそのころから来談者中心療法と名乗るようになった
この頃から治療論の主張に移り、カウンセラーとの関係性が重視され始めた
来談者中心療法は最終的に人間性中心療法と呼ぶようになったらしい
古宮昇が読み終わったので、次はロジャーズを読むことにした
これはMiss Munとの実際のセッションの17回目を逐語に起こしたもの
心理療法入門にもグロリアの事例が乗ってたけど、ロジャーズのカウンセリング、めちゃめちゃすごい
何がすごいってクライエントに質問をすることがない
情緒的な理解を伝えることをコミュニケーションとしてカウンセリングを展開していくんだけど、理解をする術は情報収集からの予測でなく、共感的な理解なんだと思う
次の日わたしもやってみようと試みたけど、とても出来るものじゃない
見方を変えると、質問するときっては大きくわけると探索的な質問と検証的な質問があると思うけど、ロジャーズはそれを質問という形でなく行ってるともいえる
探索を促すにしても(促しているのかはわからないけど)ロジャーズからは話を切り替えるような言葉は出てこない
続けている会話に沿いながらカウンセリングを展開させるってのは思いのほか難しい
カウンセラーはクライエントの話に沿うけども、クライエントはカウンセラーの言葉を通して情緒的な体験を深めることもあれば、自分を探索するときもあるし直面するときも洞察するときもあるという感じ
正直いうと昔は来談者中心療法なんかで治るわけがないと思って勉強しなかったけど、今でも精神疾患の治療としては心細いところはさておきカウンセリングとしては学ぶものがある気がする
残るわたしの疑問は、ロジャーズは精神疾患をみていたのかというところ
カウンセリング心理学は教育領域、臨床心理は医療領域という仕切りはロジャーズのカウンセリングからきていると聞いたことがある
グロリアはどちらかというと臨床心理のクライエントに見えたけど
ロジャーズは6条件を主張したけど、その後の人たちがフォーカシングとか統合とかに行ってるのは自らの間違いや限界を認めたのか、効率を重視しだしたのかとかその辺も気になる