今日は昼まで仕事があって、家に帰って本を読んでたらいつのまにか眠ってた
目が覚めたら夕方だったので、買い物に行って家に戻ったけど、なんか気分が停滞している感じがある
これといった理由はないんだけど
こういうときってもう一度寝たら治ったりする
2度寝したときに目覚めが悪かった経験は多くの人にあると思うけど、そういう感じでなんか憂うつになってるのかもしれない
どちらかというと身体的な理由になるのかな
憂うつさを感じるときに一番に思いつくことが気分を変えることだと思う
買い物に出かけるとかテンションの上がる音楽を聴くとか友だちに電話をするとか
認知行動療法の中に行動活性化療法ってのがあるけど、その中の単純活性化法ってのは快気分になる行動を増やすということをするみたい
単純活性化法が気分を変えるために行うものなのかどうかは詳しく知らないけど、近いことをしていると思う
もう一つ真逆の方法がある
憂うつな気分に浸るという方向
今日のわたしだと、食事をしながらyoutubeを見ていたけどなんか気分が停滞した感じがあったので、悲しいドラマをみてみた
世界の中心で愛を叫ぶという15年前くらいに流行ったドラマがあるんだけど、その最終回を久しぶりに見たら、気分がすっと軽くなった
このドラマは数少ないわたしのお気に入りドラマの一つで、映像と役者の演技がすばらしくいい
最終回が一番好きだけど、最初から順番に見るのがおすすめ
泣いてすっきりするという現象が実際にあるけど、この現象の機序はと言われると難しい
気分に浸ることでなぜ気分が軽くなるのか
認知行動療法でいうと感情エクスポージャーとかいう方法があって、その中にはうつ気分へのエクスポージャーってのがある
エクスポージャーってのは感情の消去を目指すと思うけど、うつ気分が消去されるかというとされないのではないかと私は思う
どちらかというとうつ気分に触れることを回避することで生活が崩れていて、回避行動の消去を行って生活を改善させてるのではないかなと思う
エクスポージャーで消去できる感情は不安と恐怖だけなのではないかな
本人はうつ気分だと思ってるけど、体験しているものは他の感情だったってのもあるかも
カウンセリングしていると、クライエントが報告するものが体験しているものを適切に表せてなかったりということは十分に考えられる
そういうときはオノマトペにしてもらうと良かったりする
そもそも論をいうと憂うつさという感情が存在するのかどうかもわからない
憂うつさという感情があるのかもしれないし、感情が感じられない状態に名前を付けたのが憂うつさのようにも思う
なので憂うつさに浸ったのかと言うと実はそれも違うかもしれない
せかちゅうを見て感じる感情はせつなさだと思うので、憂うつさと同系のせつなさに浸ることでハビチュエーションが起きたと考えることも出来る
いろいろ考えられるけど、気分に浸ることでなぜ気分が軽くなるのかって難しい
十分に浸ることで飽和するって考え方もあるけど、気分がすっと軽くなる感じは説明出来てない気がする
うつ病くらいに大変になると憂うつな気分から抜け出せないと感じる人が多いけど、それは思考がうつを引き起こしていることが多い気がする
そういった場合は気分に浸るという方向はなんか違う気がして、どちらかというと認知療法とか認知再構成といった方法で思考が憂うつさを引き起こし過ぎない方向に進むといい気がする
というか、気分に浸るという方向で進めようとしてもクライエントは乗ってこないんじゃないかな
カウンセリングで憂うつさが主訴の場合、気分を変える方に進むか、気分に浸る方に進むかはどちらも出来るけど、どちらの方が向いてるかってのは考えた方がいいと思う
クライエントの性格や傾向も大事だし、経過を聞いて、その状況で憂うつさを感じることが自然なことだと思えるかどうかは最も重要な気がしている