ロジャーズのカウンセリングの移り変わり

先日借りたロジャーズの本を1冊読み終わった

 

昨日の夜から読み始めて半日くらいで読み終わった

後半のスピリチュアルの部分はちょっと関心が持てずに読めなかったけど

人間性心理学というとよほど人間的に優れた人たちなのだろうと思われるかもしれないが、実はプライベートのロジャーズはそうでなかった

ロジャーズは、温かくて共感的で受容的な人間だったのかと思っていたけど、かなり頑固で批判的な人だったらしい

幼少期は抑圧的な家庭に育ち、青年期は孤立して空想にふけっていた

兄弟との仲も悪く、兄の葬式には出席しなかった

晩年には妻以外の女性と自由に性的な関係を持ち続けており、夫婦に縛られず性的に自由であることを主張していたらしい

中にはエンカウンターグループに参加していた女性や自分のクライエントもいたのではといわれているようでちょっと驚き

いろいろわかってくるにつれて、ロジャーズが治療者-患者関係という権威的な関係をよしとしなかったのは、自分が性的に自由でいるためだったのではとも思える

以前の記事でロジャーズは精神疾患を見ていたのかという疑問を書いたけど、見ていたことがわかった

ロジャーズ自身はクライエント中心療法というものを作ろうとしたのでなく、心理療法に共通する治療論を見つけようとしていたらしい

神経症でも精神病でも治療に必要な条件は同じであると考えていた時期もあるし、病態によって異なると考えていた時期もあった

おもしろい話を見つけた

神経症のクライエントに対しては共感的な理解と純粋さが重要であるのに対して、分裂病のクライエントでは受容と純粋さが重要になるとのこと

わたしの経験を振り返っても、統合失調症の患者からは「話を聞いてほしい」というニーズを感じることがあまりない気がするので、この分類は何となく腑に落ちるものがある

分裂病のクライエントとは関係の形成こそが重要になるので、心理的な接触を持つためにはタバコや物をあげたりと現実的な関与も積極的に行っていたらしい

カウンセリングの技法からカウンセラーの態度に主張が移り変わった背景についてもある程度理解できた

ロジャーズが神様のように扱われ始めるにつれて、ロジャーズの言うとおりにカウンセリングを行う人が増えていったので技法について述べなくなっていったという理由

また、非指示的、という部分に対して、言葉を繰り返すだけ、などの批判が集まったこともあり、非指示的心理療法からクライエント中心療法に移る

クライエント中心療法を主張するにつれてロジャーズはカウンセリングで自分をみせるということがなくなっていった

しかしある女性分裂病者とのカウンセリングでロジャーズは強い負担を感じるようになる

このクライアントとは週に3回とか面接していたらしい

あるセッションでロジャーズは自分が感じている負担をクライエントに打ち明け、そこからカウンセリングが展開する

このケースからロジャーズはカウンセラーが自己一致していることの重要性を確認し、クライエント中心から離れて関係性こそが大事であると主張を始める

この辺りの、カウンセリングで起きた現象に忠実に自分の心理療法を変え続けたことがロジャーズの魅力だとわたしは思う

関係性を作るためにはカウンセラーからの積極的な関与もよしとするようになる

この頃にあったのかは詳しい時期はわからないが、有名なグロリアの面接でのロジャーズは聞かれてもないのに自分の話をしていると批判されてもいる

ロジャーズと言えば中核3条件が有名だけど、実は晩年に4条件目を主張している

その4条件目は「直観」

これに関しては十分な検証をおこなったわけでなく、そのまま亡くなってしまったのもあってあまり広まってない

この直感ってのは晩年に関心を持っていたスピリチュアルとかトランスパーソナル心理学の影響を受けていたのではと思う

読み終わった今のわたしの疑問は、ロジャーズのカウンセリングでは何をもって達成を考えていたのか

目指したことは「自分自身になること」であってプロセスを重視していたことはわかった

記録では8回で終結したものもあれば166回続いたケースもある

166回続いたケースは分裂病のケースのようなので、病態によっては達成されがたい何かだったのかもしれないし、行われた時期によってカウンセリングで目指していたものが異なったのかもしれない