流行りのオープンダイアログの研修が近くであったから参加してきた
何でこんなに流行ってるんだろうと思ったけど、オープンダイアログに限らずこれまでの心理療法も流行ってきたなあと気づく
何でも受け入れる日本人的な心性が理由だと思う
精神分析も、認知行動療法も、ブリーフセラピーもなんでも
ただ、そんなに本気で実践しようというムーブメントが起きたかというとそれはないように思う
精神分析ではかつてアムステルダムショックというものが起きた
その時本気でやろうとする一部の人は週に4回の精神分析を目指したが、大多数は週1回以上の面接をしようとはせず、自分のやってることを精神分析的と思うことで適応されてきたように思う
認知行動療法も流行っているとは言われても本気でやってる人ってみない
伊藤絵美先生の本を買ってシートを印刷して使ってみるくらいの人が多数
ブリーフセラピーも「今何点?」「あと10点あげるには?」とかお決まりの質問を繰り出して満足してる感じで、本来の目的である短期間での改善を見せてくれる人っていない
一見寛容に見えて、本質的には変わろうとしないから抵抗なく受け入れるんだと思う
オープンダイアログも同じ運命をたどるのではないかと思う
わたしは数年前にオープンダイアログを知ったけど、こんなもの出来るかと投げ捨てていた
認知行動療法の習得に取り組んでいたから、やることがあまりにも違い過ぎて受け入れられなかった
ところがずっとデータをとってきて、自分の面接で改善するケースの多くはどうも認知行動療法によるものではないらしいと思い至ったのもあってその抵抗が緩んでいた
そして最近ロジャーズを読んだりもしてた
そして研修の話
講師の白木孝二先生はオープンダイアログをフィンランドまで見に行ったという本物の人
午前中は講義
最初は心理療法の共通要因について話がある
臨床家は2,3年目のアウトカムが一番よく、歳をとるほどヘタになる
心理療法間の効果には結局差がなく、誰がするかといった個人差が大きい
セラピストが自分の面接に自信をもっているか、自分の面接について説明できるか、クライエントがカウンセリングに期待をしているかの効果が大きい、など話される
そしてオープンダイアログ
教わったポイントをいくつか挙げる
1.解決は話し合わない
早期介入でなく、早期対話。話し合いを最後にまとめない
2.クライアントがいないところでクライアントの話をしない
3.グループでは2人が対話を行い、他の人は聞く
ワイワイ話し合わない
4.話を聞いている時に次のことを考えない
クライアントをアセスメントしない。自分のストーリーで進めない
5.患者から意見を求められたらこたえる
よく起こるらしい。専門家として、人間としてどう思うかをこたえる。これを超えられると変わるらしい
午後からはワークが多め
このワークがわたしは苦手だった笑
ひとつはロールプレイ
「近くの人とグループになってください」ってやつ
わたしは練習を真剣にやれないほうなので、ざわざわとしてる中演じるとか全く身が入らない。前に出て演じるとかだとまだ緊張感が保てるけど
相談場面なんだけど、クライエントの悩みを解決するという文脈でなく、支援者として自分の心配に思ってることを話してクライエントから意見をもらう、ってのをやった
問題意識がない、連れてこられた人との面接を成立させるには、ってのと似てる
これも最低限関係がとれる人とでないと出来ないのではと思う
「わたしの心配のために」って文脈をつくっても、クライエントからしたら、お前の心配なんて知らんわ!ってなる可能性はあると思う
あとはミラクルクエスチョンみたいなのをやった
自分の懸念していることが来年良くなっていたら、ってやつ
3人組になり、先の2人は仕事のことを話される
わたしの番だけど…来年やめてる予定ですとか、独立する予定ですとか、知らない人に話すのもなんか…
ということで、掃除が苦手なので出来るようになりたいとか言った
質問が続くにつれ、たいした懸念でもないので言うことがなく、なんか嫌になった
気づくと後ろの女性も掃除が出来るようになりたいと言っていた
同じような心境なのか笑
ミラクルクエスチョンも、文脈の中に置かれることが大事と知った
全体を振り返ってわたしが気になったのは聴きかたの部分
先生のデモンストレーションが見れなかったので、どんなふうに聴くのかがわからなかった
どのくらいアイコンタクトをとり、うなづき、相槌をうつのか
療法によってききかたって違う
PEの研修では言語的な応答をものすごい挟まないといけなくてなじめなかった。オーバーエンゲージメントを防ぐためってのがあるからだけど
多くの人は非言語的な応答に対してレスポンスを感じると思うけど、言語にしか感じれない人ってのもいる。そういう人には話の内容を外さないってのも大事だと思う