カウンセラーになるにあたって必ず経験するものに事例検討がある
集まった専門家の前で自分のカウンセリングを報告してディスカッションをする
詳しくは事例検討と事例研究がある
主に現在進行中の事例を題材にして、これまでの経過を振り返ることで今後のカウンセリングにいきるディスカッションをするのが事例検討
主に終結した事例を題材にして、自分の経験した臨床的な知見についてディスカッションするのが事例研究
患者から許可をもらう、個人情報がわからないようにする、などの配慮のもと行われることが必要
カウンセリングはカウンセラーのアイデンティティなので、ディスカッションで傷ついたり喧嘩になったりは日常茶飯事
その事例検討について思うことがあったので書き残す
職場で、どこかの先生を読んで事例検討をすることになったから出さないかと誘われた
この地点で私は違和感を感じずにいられない
私はその先生を知らないしその先生も私を知らない
それでなぜ私に話が来るのか全く理解できない
誰か知らないその先生は、知らない場所にふらっと行って、知らない人がやっているその後どうなるかもわからない事例にコメントをするということに何も感じないのだろうか
治療者の人となりやパーソナリティを知ることもなしに、その後の経過に何の関与もすることのない立場でコメントをすることに何も感じないのだろうか
こういう安易な提案をされることや、臨床に対する意識が大きく異なる人と仕事をすることへの違和感も独立を考える理由
私も大学院で学び始めの時は、よく知りもしない人の発表する事例にコメントを投げて発表者を傷つけたりしていた
知っている発表者の事例であっても、その後の経過を聞く機会があると、以前にコメントしたことがおおよそ取り入れられることなく続けられてたりするのが空しかった
自分が発表するときは、全く知らない人からの見当違いのコメントに苛立ったし、説明しようという気にもならなかった
今では知らない人へのコメントは控えるようになったし、事例検討という名のものになんでもかんでも参加するのもやめた
事例検討は、自分の見知った人とクローズドに行われるか、学会での臨床的な知見の発表に留めるのが良いと思う
またオファーされるんだろうけど
臨床に対しては思うことがたくさんあるので、今後も書き残していく