今日はスタッフ同士のもめごとが起きていた
病院行事があると人を駆り出さないといけないんだけど、それぞれの部署のボスが協力してくれなかったりがあるみたいで、担当者は大変そう
でもなんかこういう役が好きな人っているもので、なんとか毎年開催できている
そういう人はサラリーマンとか組織で働くことが向いている人なんだと思う
ポジティブで、何が起きても「勉強になった」「次に生かそう」「忘れよう」と気持ちを切り替えられる人
嫌なことがあっても人との関係を上書きしていける人
わたしはどちらかというとネガティブなんだな笑
一度嫌になると簡単には気持ちが切り替わらない、一度人に持った印象はなかなか変わらない
もう二度とこの人には関わりたくないと思ったらなかなか修復できない
見切りをつけるのが早いというか、距離をとることで健康を保つタイプ
もう一つのもめごとは心理士あるあるかもしれない
カウンセリングの構造とか設定にゆるい人と…ゆるいというかおおよそその意味を知らない人と、構造を守りたい人の対立
部屋を変えたり時間を変えたり、カウンセリング中に人が入ってきたりしてもなんとも思わない、ごめんねーといえば済むと考えるポジティブな人っている
それで済んでるのは自分だけってことを知らない
部屋に戻ると誰が聞きたいとも思ってないのに今日のカウンセリングはどうだったか語り始める人
情報共有をやたらしたがる人
情報共有を積極的にしたがる人の優先するものって、自分の心理的な安定とか、スタッフからの評価があって、それから患者の利益がうまれると考えている気がする
そしてそういう人の方が組織に適応できるという現実があるんだけど笑
構造を守りたい人にとって情報共有ってなかなか悩ましい
構造を守りたい人、情報共有を最小限にしたい人はどちらかというとカウンセリングに本質的な人
誰だったか精神分析の先生がいつかどこかで言っていた、精神分析はなぜ解釈を返すという行為を続けるのか
「それまで解釈を返し続けてきたのにある日助言をしたとしたら、「先生は精神分析では私を治せないと思ったんだな」と患者が体験するだろうから」
最近はオープンダイアログとか流行ってるし、うちの職場でもやたら他職種を含めたケースカンファレンスをよしとする風習があるけど、情報共有をするってことは、少なからず治療がうまくいってないときだと思う
カウンセリングでもって、あなたに起きている問題を一緒に改善させていきましょうと取り組んできたはずなのに、ある日カンファレンスへの出席を提案された時、患者はそれをどう体験するのか
カンファレンスでいつもと違うセラピストを見た時に患者は何を思うのか
その後のカウンセリングをどう体験するのか
病院で働いていて思うけど、患者とのことに悩むことってそんなにない
悩ましいのはスタッフ同士の事
わたしはどちらかというとカウンセリングへの思いがある人なので、余計なことにわずらうことなく仕事ができたらと思うのが独立を考える理由としてある
医師との関係についても思うことがあるけど、それはまた後日書こうと思う