時間があるので心理職の就活をしていた時を振り返ってみる
一番最初は修士2年の頃
もともとわたしは少年非行に関心があって、大学院を出たら少年鑑別所の鑑別技官になろうと思っていた
ただ、純粋にそれを目指すことに没頭出来ていたわけでもなかった
大学院に入って、「技官の仕事は基本テスターだから、カウンセリングをする機会がない。自分はカウンセリングがしたい」と先輩が言っていて、この話には影響を受けた
でもそうはいっても関心があることに一番近いし、あとはなんか大きなことに挑戦したかったというのがあって受験したのかもしれない
家裁の調査官とか保護観察官の仕事とか調べたこともある
魅力を感じたけど、実際の仕事は常に100人以上の少年を担当していて、じっくりと人と関わる仕事ではないと聞いて、関心がなくなってしまった
あと、わたしは大学受験を始めるまで勉強してなかったから、自分が圧倒的に一般教養が足りないことはわかっていて、そこでは勝負できないと思っていた
昔から諦めがいいというか、自分が頑張れば出来ることとに打ち込むことと、出来ない事から手を引くことの素早さは明確にもっていたように思う
その当時はA種認定鑑別技官という試験があった
それは院卒で受験するもので、教養試験なしで専門試験だけで受験できる、わたしにとって穴場なルートだった
過去問も確か出てなくて、試験勉強はマークシート対策で問題集を1冊解いたくらいだった気がする
専門の方はもともと関心があったので勉強しなくても自信があった
試験に行ったら10人か20人くらい受験生がいたけど、なんかいけそうな気がした
その日は午前が専門試験で、午後が面接試験だった
面接試験では普段学校でやっていることとか聞かれて、終始和やかに進んだ気がする
試験が終わってしばらくしたら自宅に封筒が届いた
A3の水色の立派な封筒だったので、受かったかもと思って開けてみたら、合格してた
あの時は嬉しかった
でも希望してた地元の管轄区では残れなかったみたいで、広島まで2次試験にいくことになった
朝早く起き、高速バスで4時間か6時間か揺られて行った
行ったら4人受験者がいて、呼ばれるまでみんなで待機することになった
話してみるとまあ優秀な人たちで、「あ、無理かも」って思ったのを覚えている
試験は面接で、割と長かった気がする
いろいろ話した後、「最後に自己PRをしてください」と言われて、「更にか…」と思ったのを覚えている
終わって帰り、しばらくしたら茶色い封筒が家に届いた
1次試験と違い明らかに中身を折りたたんだサイズだったので、空ける前にもう結果がわかった
空けたら案の定不合格だった
A種認定鑑別技官って試験はこの年が最後だったので、ここで1つの目標が終わった
それからしばらく月日が経ち、次の就活は博士課程を出る時になる
わたしも研究者を目指していた時があって、博士課程では3年間、自分なりにいろいろやってみた
論文を投稿してみたり、学会発表してみたり、小さいけど研究費を獲得したりして、卒業するときには優れた業績が認められて、奨学金が半分免除になったりもした
半分って結構な金額で、220万円免除になった
けど、論文を書くセンスとか、細かく先行文献にあたる繊細さとか、研究を推し進める熱意とか、チームをつくって協力して取り組む力とか自分には足りないと思ったし、のんびり研究生している経済的余裕もなかったし、大学の先生になって学生に教えるのとかも関心がもてなかったので、博士を出る時に研究者の世界はすっぱり諦めた
で、ここから就活するのだけど、これが結構苦労した
正直言って、博士課程まで出てると就職とか余裕で決まると思っていた
その頃は病院臨床に関心が強くなっていたので、まずは病院に就職しようと思った
ハローワークとか、大学の相談室とかに来た求人を見ていると、うつ病専門の、全国的にも有名な病院の求人が出てた
社会人経験がないので給与条件とか知らなかったけど、知人に聞いてみたら給料もかなりいいと言われた
それでそこに応募した
学内に精神医学の世界で非常に著名な先生がおられたので話してみたら、院長と知り合いと言われていたので、お願いして推薦書を書いてもらったりもした
これでもう決まったものと思った
試験にいく日は朝早く起きて、4時間くらい運転して行った
「え…」と思うくらい田舎だったけど、「これからここに住むのか―」とかのんきに思っていた
採用は1人だけど受験者は20人くらいいた
そこの試験が特殊で、心理テストだった笑
バウムとクレペリンとTEGとかで、たしか小論文とかもなかったと思う
バウムは無難にモクモクとした丸い木を描いて、隣の人を見たらものすごいとげとげしい木を描いていて、おう…と思った
試験が終わるとその後面接だった
面接ではほとんど何も聞かれず、5分とかで終わった
その時わたしはもう自分が受かるものと思っていたので、その時間の短さに勝手に納得していた
採否は電話連絡と言われたので、その日家で待っていたら電話が鳴った
来た来たーと思ってでると、不採用だった
かなり衝撃だった
その夜、仲良くしていた社会人大学院生の学校の先生とジョイフルに行って話をしたら、それだけ有名な病院だと他の人も推薦されてきてる、田舎の病院なので誰か受験生の出来レースだったのかも、と言われて、妙に納得できた
これで一つ目の就活は幕を閉じた
本気でそこに行きたかったので、他の求人の内容とか、病院のホームページを見ても、魅力を感じる所が見つからなかった
とはいっても学校を出ると仕事しないといけないので、先の友人に見てもらって、「ここ条件いいよー」と言われたところを受けることにした
そこの給与は公務員に準じているとか書いてあった
行ってみると、リハビリ科なのであまり人気がないのか、受験者は3人しかいなかった
そのうちの1人が学校の後輩で、お互い「あ…」ってなった
修士の学生が、受験に来たら博士の大先輩と会うんだから、向こうの方が気まずかったと思う笑
試験は小論文と面接で、この面接が結構な圧迫面接だった
ずらっと面接官が並んでいて、入って早々「きつかったらやめちゃうんじゃないの」みたいなことを言ってきた
正直イラッとしたし、いい印象はもたなかった
その夜また友人とジョイフルに行って話をしたら、「そこ行かんがいいよ」と言ってくれた
面接できつかったら辞めないかを査定してくるってことは、これまでの人がきつかったら辞めた前例があるからで、つまりきつい職場なんだということだった
そこも不合格だったけど、印象が悪かったので全く落ち込まなかった
ちなみに後輩も不合格だった
今度は近場の病院を受けてみた
そこは給料は250万円くらいだったけど、実際は働き出したらもっともらえるだろうと、なんかポジティブバイアスが自分の中に出来ていた
行ったらまた受験者が20人くらいいた
そして運命的なことにまた後輩がいて、「あ…」となった
そこの試験は数学とか漢字とかで、これ心理士の適性を見る試験なの?って思った
面接は4,5人のグループで、真ん中の面接官から「トラウマってあると思いますか?」みたいなことを聞かれて、その人がトラウマについて話をして、面接が終わった
志望動機とか聞かれなかった
たぶんここも、すでに誰かに決まってたんだと思う
なんで条件が悪いのにそんなに受験者がいたのか後で知ったけど、トラウマの治療で有名な先生がいたらしい
たぶん真ん中に座ってた先生だと思う
近場では求人が見つからなかったので、次は遠くに行った
そこも結構な田舎で、たぶん事務部長と、心理の担当者と面接だった
もうちょっとまともな面接をしてくれた気がするけど、不採用だった
それからしばらく求人が出なかったけど、3月になって増えだした
それで一つ普通の精神科を受けに行った
そこは心理士3人が面接官で、この時初めて時間を30分くらいとって、ちゃんと面接してもらえた
終わった後は院内をまわって説明してくれた
色んな病院の試験を受けてきたので、帰りはここで働きたいなーと思っていた
2次面接は、事務部長、看護部長、常務理事とかでてきて、和やかに進んだ
その頃はもう3月も終わりで、すぐに採用の連絡が来て、急いで引っ越しをした
それが以前の勤務先になる
入ってみるとその後いろいろあるのだけど笑、3年働くことが出来たので、いいところで雇ってもらえてよかったと思っている
大学生も100社とかエントリーして面接までもいけないとか聞くけど、振り返っても就活は、精神的に結構苦労したと思う
最後のところは採用3人だったけど、それ以外に受けたところはどこも1人で、20人とか受験者がいる中で1つの椅子を勝ち取るのはなかなかハードだと思う
採用人数が多いところを受けるのもおすすめ
入職したら同期ができるということでもあるし
有名大学を出てたり、高学歴だったりしても、自分以外のいろいろな事情で不採用になることが意外とあるのかもしれないし、早く決まってもそこが本当にいい職場かはわからない
続けていたら、いつかどこかでなにか見つかるというのがわたしの実体験なので、心理士の就活をしている人は、あまり深刻に考えず過ぎず、自分を責め過ぎず、とにかく続けていることが大事だということを伝えたくて今日は書いてみた