認知行動カウンセリングの実際を読む「15章 恥と罪悪感」

よくわかる認知行動カウンセリングの実際: 面接の進め方とさまざまな感情への応用

今日も読んでまとめていきます

恥と罪悪感

 恥と罪悪感は大うつ病、強迫症、社交不安症などで問題となります

 恥と罪悪感は生理的な反応がとても良く似ています。いずれも「しなくてよいことをした」「すべきことをしなかった」という認知を中心に展開します

 恥は他者の目に留まった時に生じ、罪悪感は外的な状況を必要としません

 いずれもうつとはことなり、うまくいかなかったことへの責任感と、その意識が過剰なことが共通しています

 恥は他者から見ると自分は人間失格だと考え、自己へのネガティブな評価を受け入れています

 罪悪感は他者から見られる必要はなく、自分が間違ったことをしたという考えが特徴です

恥と罪悪感に関するABCモデルのC

 恥と罪悪感の感情Cは、他者を傷つけたという感覚や、自分自身の基準から外れたという感覚です

 恥も罪悪感も、基本的な感情である嫌悪感から生じています

 恥は他者からの非難によって生じ、その非難は自己全体に向けられた評価だと捉えます。罪悪感は自分自身による非難から生じます

恥と罪悪感に関するABCモデルのA

恥に関するA

 人前での過ちや人前で自分の基準からはずれた経験です。それを他者から批判されると考えることによって恥が生じます

罪悪感に関するA

 自分の倫理基準から逸脱した場面がAとなります。自分の行いによって誰かを傷つけたり、痛みを負わせたりしたことに気づく、あるいはその可能性が高いことが想定されるということで十分な場合もあります。内的な出来事も罪悪感のAとなる可能性があります

恥と罪悪感に関するABCモデルのB

 恥と罪悪感のBには大きな違いがあります。推論の違いが恥と罪悪感を区別します。評価は比較的似たパターンになります

恥に関するB

 思考連鎖の最初は、それを見た人の行動に関する意味や影響力についての推論です。例えば「何を言っているのかわかってないと思われている」「人前で話すことが怖いと思われている」「小心者だから緊張していると思われている」などです

 推論の次の段階は、他者の考えについて結論付けることです。例えば「彼らは正しい。僕は自分の考えさえも使えたり、間違ったりしてうまく伝えられない」となります。この段階で他者の考えを内在化し自分に当てはめます

 推論の最終段階は、自分の基準に当てはめて、失敗したと結論付けることです。例えば、「人前で間違うなんてもってのほかだ」です

 イメージがBを生じさせることもあります。推論がなくても、想像するだけでも評価を活性化させるには十分です

 恥に関する評価は、失敗してはいけないという個人的な考え、失敗についての破局的な考え、恥についての全体的な自己評価です

罪悪感に関するB

 罪悪感の推論では、自分の行動を批判する推論が生じます

 最初の段階の推論は、Aに置かれた行動(望み、願望、思考)が社会常識や倫理基準と矛盾するというものです

 「わたしはひどいことをした」「わたしのしたことは間違っていた」という形をとります

 推論の次の段階は、失敗、責任、非難に関連します。自分の行動が誰かを傷つけたと考えた時、その行動の責任が自分にあると思わなければ罪悪感をもちません。自己非難の推論です

 罪悪感の評価は恥と似ています。「すべきこと」と表現されますが、こだわり(「しなければならない」「して当然だ」「どうしてもする必要がある」)になることもあります

 最後の評価はとてもひどいことをした自分を非難する全体的な自己評価です。「僕がすべて悪い」「わたしはひどい人間だ」「僕は何の役にも立たない」というものです

恥と罪悪感に対する中核的治療目標

 恥と罪悪感は「自分がすべきこと」に関連し、それを自分や周りの人の目で見ることによって生じます

 治療目標の1つは、人間は恥と罪悪感に関連して問題が現れやすいことを知ることです

 恥と罪悪感への介入の第1段階は、Aとなる出来事があったとき、どのように感じるようになりたいかの検討です

 恥の代替目標が恥の程度を弱まることになることもありますが、ふさわしい目標を「落胆」と呼びます

 罪悪感は事情が異なります。悪い行いへの反応として代替感情はないという結論になるかもしれません。罪悪感は役に立つと信じているクライエントもいます。しかし罪悪感は自己破壊的だと認識していなければ問題です

 自分の行いを正す行動をもたらす健全な感情を「健全な後悔」と呼びます

 罪悪感が自己破壊的で健全な後悔が真の目標になることを理解出来るように支援します

 評価から推論は生じています。評価が変われば推論も消えます

 罪悪感には異なるアプローチをとります

 倫理基準への論駁を試みるカウンセラーもいますが間違いです。信頼関係を結ぶことが難しくなりますし、CBCは倫理観を変えるものではないからです

 推論を振り返り、検討することから始めるべきです

 まずは間違っていると判断した行動Aから振り返ってもらいます

 自分の行いが悪かったという推論が正しい場合もありえます。この場合まず罪悪感に対する評価を話題にして評価を論駁します

 CBCでは自分自身の倫理的こだわりを見つけるように支援します

 倫理的こだわりに関する隠されたこだわりを明らかにすることがポイントです

 「愛する人を傷つけるべきではない」という倫理的こだわりに隠されたこだわりは、「わたしはすべきことを常にしなくてはならない」かもしれません。この第2のこだわりを、「わたしは愛する人を傷つけるべきではないし、本当にそうしたいと思っているけれども、自分がすべきことを絶対に出来るとは限らない」に変えるように支援します

 次の支援法は、破局的信念(ひどい、恐ろしい)や全体的な自己評価の論駁です。重要なのは全体的な自己評価です。

 自分は弱いとか悪いとかと結論していると、弱い行動や悪い行動をとりやすくなってしまいます。認めたくない行動や悪い行動があったとしても、自分自身を受け入れなければならないのです

 恥に取り組む強力なホームワークは「恥ずかしさを取り除く訓練」です

 目的は、恥の土台にある信念に反する行動をとるよう支援することです

 この課題は信念を論駁した後でしか提案しません

 取り組んだ人は恥から解放され、非難を受け入れることを学びます


 恥と罪悪感がまとめて書いてあるので理解しにくいです。ブログと別のページで、感情ごとの認知モデルを図にして書こうと思います。
 恥が問題になる疾患と言えば社交不安症だと思う。経験する出来事は「そんなに恥ずかしいことではない」という方向にも行くし、「恥はかいたけどそんな大きな意味はない」という方にも行く。恥をCに入れるかAに入れてフォーミュレートするかの違いになる。後者の方が根本治療なのかもしれないけど、前者でずいぶん良くなる人もいるように思います。

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